郷球説法

Rhythm Nightでほろ酔いの郷太さんが話していたことを少し。
五時ちょっとまえ、もうそろそろ終わるかな・・・くらいの時間帯にDJブースに現れた郷太。
「今日来てくれて、こんな時間まで残っていてくれた人たちはNONAが好きなだけでなく僕のトークも好きな人だと思うので、これからここにいる1、2・・・15人?くらいのためだけにいろいろ話したいと思います」と前置きをして、音楽をかけながらその曲を作ったミュージシャンについて話し始めました。
私も良い感じに酔っていたので細かいところまでは覚えていないのですが、とにかく本当に楽しく、興味を持って聞けるお話だったということ。私は洋楽はほとんど聴きませんし、洋楽のアーティストは名前しか聞いたことのない人ばかりですが、それでも引き込まれてしまいました。
内容はこんな感じ

・小学生のときに先輩(中二くらいの)にCulture Club のカセットテープを借りた話。そのテープに「文化倶楽部」と書かれていたために小学生のころはずっと「文化倶楽部」という名前だと勘違いしていた
田中康夫さんの「なんとなく、クリスタル」の話。その小説の主人公が好きになる女性が音楽好きで、出てくる音楽が大ヒットした。それは日本の一文化をスタートさせてしまうような素晴らしい変化で、これ以降の小説は形態が似ている
尾崎豊さんの話。彼は凄いアーティストだけれど、出した曲は大体アルバム二枚くらいで、それ以降は巧くいかなかった
Queenの、黒人の人たちからかなりの支持を得た曲の話(タイトルが解らない・・・!!)。シングルカットされる予定ではなかったけれど、マイケル(ジャクソンさん)が「これは良い!!ぜひこれをシングルにするべきだ!!」と薦め、シングルとして発売。結果、今まで白人しか聞いていなかったQueenが黒人サイドからも大人気に。その曲をマイケルが自分なりに租借して作ってみたのが「Billie Jean」で、これらが流行ったことにより、「レコードのビート部分だけ繋いで言葉を乗せてみる」人が現れた。これがヒップホップの始まり。さらにマイケルは「Billie Jean」で「彼女は僕のことが好きだから僕の子供だっていうけど 彼女とはダンスしただけさ なにもしていないんだ」と歌っていて、まるでこの間の裁判を予言?したかのよう(「遊んだりひとつのベッドで寝ただけで何もしていないよ」)
WHAM!の誕生の話。アンドリュー・リッジリーはスポーツ万能で恰好良く、明るくてモテモテの人気者だった。彼の学校に太った瓶底めがねの音楽オタク(しかもゲイ)がロンドンから転校してくる。それがジョージ・マイケル。彼は内向的で大人しい少年だったため、教師が世話係としてアンドリューを任命。最初の友達となる。アンドリューはジョージの音楽の才能を認め、ジョージはアンドリューに人を惹きつける華を感じ、WHAM!を結成。しかし楽器も何もできないアンドリューは段々と腐り始め、「WHAM!に自分は必要ないんじゃないか」と酒に溺れる日々が続く。ある日スタジオで泥酔していたアンドリューにキレたジョージはバスルームで服の上からシャワーを浴びせ、「君が褒めてくれるから僕は作曲ができるんだ!!君がいなくちゃWHAM!じゃないんだ!!」と説教。それ以来アンドリューは改心した。(郷太「今思うとゲイだったからとも取れますけどね」)しかし結局WHAM!は解散してしまい、それ以来ジョージの作る曲は暗い曲ばっかり

とまぁ、こんな感じで詰まったり考え込んだりすることなく流暢に話していました。凄いなぁ。間違っている部分が多々有ることでしょうが、そこら辺はご勘弁ください。テレコ回したかったな〜。
最後は「アーティストは誰でも『前作以上のもの』を作るというプレッシャーを抱えていて、それに潰されてしまう人も多くいるけれどマイケルはデビューから30年もの間、そのプレッシャーをはねのけている」という流れになり、「だから、今度のNONAのニューシングルが皆から最高と言われ、自分でも最高だと思えるようなものになったことは幸せなことです」という感じでお話は終わりました。
それはQueのライブの時にも言ってくれたことで*1

アンコール後も鳴り止まない拍手の中、郷太くんだけステージに戻って来てちょっと喋ってくれたこと。それは、解散してゆくバンドも周囲にたくさんある中で、9年やって、9枚目のアルバムを今度出せて、ノーナはこれからも、解散してしまったバンドの分も続いてゆく、ということ。

ということに繋がっていくんだな、としみじみ思いました。郷太さん本当にありがとう。

*1:こっちはあんまり覚えていないのでhttp://d.hatena.ne.jp/sahya/20050923より借りてまいりました